熾烈な独ソ戦
一人の少女が狙撃手として戦場に立つ
今回の紹介本
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タイトル:[同志少女よ、敵を撃て]
著者:逢坂 冬馬
ジャンル:小説
戦争小説なので「おもしろい」とは言えない。
だけど良い小説だとは言える。
物語全体に戦争小説としての悲惨さがある。
特に女性に対しての戦争犯罪については凄惨である。
ここからは、物語のネタバレを含むので、内容を知りたくない人は、目次から「読み終わっての感想」まで飛んでください。
物語としての感想(ネタバレ含む)
イリーナは最初から思いやりがある人物なんだろうなとは思っていた。
たぶん著者としてもそれを隠そうとはしていないのだろう。
捕虜になるシーンはちょっと現実感が無かった。
それまではそんな感じがしなかったのに・・・
ただ、狙撃手という立場上、こうでもしないと因縁との邂逅が果たせず、邂逅せずに決着がつくのは物語としてまとまりが悪いだろうし、何かしら顔を突き合わせる必要がありこの形になったのだろう。
最後の決断はもやもやしてしまった。
その人物はハッピーエンド要員ではなかったのか・・・
どうしてもやさしい隊長の敵に燃える部下の方に感情移入してしまう。
ほぼ登場しないのに
自分が男だから?それとも歴史好きで、指揮官と部下の、部下の方に感情移入しやすいから?
信念を実行するということにおいては狙撃手仲間ヤーナ、看護師ターニャと変わらないはずだし、主人公ならそうするだろうと思うのに・・・
実際、標的がこの人物になるまでは特にもやもやもなかった。
途中からハッピーエンドにはならないだろうと思っていた。
やっぱりそうだった。
結果的には2つ手に入れられたのだからハッピーエンドよりではあるのか?
最後に少し明るい兆しが見えるのもあってハッピーエンドなのだろうか。
でも多くの登場人物はあまり幸せとは言えない。
シャルロッタも一つ見つけたのだからどちらかと言えば幸せなのだろうか?
恐らく現実でもそうだったのだろうが本来彼女らはもう少し報われてもいいのではないだろうかと思う。
あっ、ヒョードルさんとターニャはわりと幸せか・・・
「戦場は女の顔をしていない」の著者からインタビューを求める手紙が届くところで物語が終わる。
やっと彼女たちの戦争が終わる・・・
読み終わっての感想
学校入学の学友登場はわりと漫画的だと思った。
これは著者の年齢が関係している?
その表現が良い悪いではなく若い人の方が多くのキャラクターモノに振れてきていて、スタンダードな表現の一つになっているのかな?
実際私も、「漫画的だな」とは思ったが嫌な感じはしなかった。
しかし、年齢層によっては不快かもしれない。
片方がやられて、もう片方が我慢するというのはとても難しいのだろうなと思った。
特に前線の兵士たちは自分たちだけでなく自分の町や戦友や家族が被害を被ってきている。
主人公のように絶望して、復讐心だけで立ち上がった人も多いだろう。
その人たちが、我慢するのは難しい。
もちろん、「だからしょうがないね。」という気はさらさらない。
だが簡単に「そうするべきだ」と言えるのは、外野だから言えるのかもしれない。
戦争に従軍した人は精神が強くなったのではなく戦場という異常な空間に精神を最適化したに過ぎないというのは進化論にも通じる話だと思った。
進歩したのではなくその環境に適応しただけ。決して進歩ではない。
環境が変われば、それまで優れていた部分も弱みになる。
この本の出版当時は、まだウクライナ侵攻は開始されていなかったので世情を反映してのものではないだろうが、エピローグでウクライナを優遇するソ連について書かれた部分があった。
その中で、クリミア割譲にも触れられ、「このままウクライナとロシアの友情は永遠に続くのだろうか。」という一文があった。
それを読んだ時、心の中で「そうはならなかったよ」とつぶやいた。
ウクライナ戦争の報道とこの小説を重ねて見ると第二次世界大戦の頃とは変わったところも多々あるものの変わらないところは今でも変わらないのだなと思った。
それではまた次回
いじょ~流水でした!
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