【おめぇはおめぇのまま生き抜け】
あらすじ
有志募集のため関東に旅立つ栄一と喜作。
そんな二人を円四郎は見送ります。
見送りの際に栄一に対して『おめぇはおめぇのまま生き抜け』と自分の生き方を貫くように言う円四郎。
関東下向に際し栄一達は家族に近況を報告。
道中で里帰りすることを伝えます。
その頃水戸では小四郎らが天狗党として挙兵。
断固討つべきかどうかで藩論が分かれます。
天狗党の方はというと周囲の協力が芳しくなく、惇忠の元にも勧誘が来ますが「大義がない」と拒否されてしまいます。
栄一達は天狗党の挙兵を知らず、挙兵に協力している真田の元を訪れ一橋に勧誘しますが、真田からしてみると攘夷への裏切りだと激怒。
袂を分かつことになってしまいました。
一方、京では池田谷事件が起き志士の多くが新選組によって殺されました。
この襲撃を指示したのが慶喜ではないかという噂が広がり攘夷派の水戸藩士が激怒。
襲撃指示の裏には円四郎がいるとし、奸臣円四郎を討たなければならないと息まきます。
慶喜は円四郎に対して自分は本来の実力以上に輝いてしまっている。実際は凡人で皆が期待するような大人物ではないと心情を吐露しますが円四郎はこれからも慶喜は輝き続けること、そんな慶喜に尽未来際忠義を尽くすことを伝えます。
しかし、円四郎はその矢先館から出たところを過激派水戸藩士の襲撃に遭ってしまいます。
運悪く川村恵十郎がその場を離れていたこともあってまともに斬りつけられてしまい慶喜や妻のことを思いながら亡くなります。
関東で有志を集めた栄一達は帰京の途に就いていてまだこの事件を知りません。
二人がこの件を知るのは半月後のことでした。
感想
どうも流水です。
今回流水が注目したポイントは二つです!
真田との再会
円四郎の死
◇真田との再会
久しぶりの真田登場でしたが不幸にも両者は袂を分かつことになりました。
真田としては【尊王攘夷=反幕府・外国排除】
そのため一橋に仕えた二人を受け入れられなかったのでしょう。
二人からすると前述の【尊王攘夷=反幕府・外国排除】というのは既に円四郎から諭された古い尊王攘夷理論であり栄一達は尊王攘夷を捨てたわけではないのですがそれは伝わらなかったのですね・・・
同じ青春を送った両者がこんな形で分かれてしまうとは悲しいことです。
◇円四郎の死
今まで物語を引っ張ってきた円四郎の死はとても大きいものです。
苦悩する慶喜を支えてきたのも円四郎です。
心意気だけだった栄一達に色々な考えや視野を与えてきたのも円四郎でした。
そんな円四郎の死は物語としてもとても影響が大きいでしょう。
来週からは本当に慶喜と栄一が物語を引っ張っていかなければならなくなりました。
また、流水としては史実の円四郎がもし暗殺されなかったら維新後に明治政府の中で大きなことを成したのではないかとも思ってしまいました。
史実ネタ
今回は劇中で描かれた池田谷事件について少し触れたいと思います。
水戸の過激派浪士は池田谷事件にて新選組に対して指示を出したのは慶喜でありその裏には奸臣円四郎がいると激怒していました。
池田屋に集まっていた長州過激派はある計画の相談のために集まっていたのですがその計画はとんでもないものでした。
彼らの計画は京都中に火を放ちその隙に帝を長州に連れ去るというもの。
(※この説には異説もありますが今回はこの説を前提として書いています。)
もはやただの無差別テロでしかありません。
京中に火を放ったらいったい何人の犠牲者が出るのでしょう?
千年王城である京の文化遺産も全て灰に帰します。
そもそも尊王の志がある人間が当の帝が千年に亘って治めてきた京都を焼き払うというのが理解に苦しみます。
円四郎を殺した水戸藩士たちは計画の全容まで知っていたのでしょうか?
知っていても尚この計画を止めたことが許せなかったのでしょうか?
気になるところです。
こんなとんでもない計画を建てた長州過激派ですが、彼らがここまで過激になったのには理由があります。
それが八月十八日の政変です。
八月十八日の政変で長州の京都での影響力は失墜。
長州の志士は志をぶつける事ができずどんどん過激な方向に進んで行きます。
余談ですが倒幕の勅令を得られる算段が付いたにもかかわらず慶喜によって大政奉還というカウンターを決められた西郷さんも一時的ですが暴走気味になってしまいます。
この時期の西郷さんの手紙が残っているのですがそこに書いてある計画はどれも【戦略家・西郷】らしからぬお粗末なものばかりです。
人間誰しも事が上手くいかず八方塞がりになると暴走してしまうということですね
来週へ
来週から牽引役たる円四郎亡き青天を衝けが始まります。
ある意味ここからが栄一と慶喜が主人公になって行く。
栄一がどのように成長していくか楽しみです。
それではまた来週
いじょ~流水でした!