大河ドラマ どうする家康【第17回 三方ヶ原合戦】 感想

<span class="bold-blue">流水</span>
流水

どうも流水です。

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感想

終始お通夜ムードの徳川家中。
三日に一つ城が落ちる知らせが入ったり、終始信玄の掌の上で転がされているように描かれたりなど、歴代でも屈指の強さで描かれる武田家は武田好きとしては見ていて楽しいです。
一話で終わるかと思った三方ヶ原の戦いですが、今作は違いましたね。
今回は決戦迄の流れと、最後に戦の結果だけを描き、来週で合戦の詳細を描く構成でたっぷり二話分を割くようです。
本多忠勝が出陣した「一言坂の戦い」や、籠城するべきか決戦するべきかの対立など、今までの大河より三方ヶ原の戦いが詳細に描かれていていいですね。
信長を呼びつけるなど追い詰められたことでかなり「よわよわ家康」を脱した家康
瀬名姫に「自分の弱い心」を残していったという表現も家康覚醒を伺わせます。
これから昨年の北条義時のように変貌を遂げていくのか楽しみです。

徳川家康出陣の理由

今作では遠江の支配や、岡崎に行かせないなどの理由があり出陣を決めた家康
史実でも戦う姿勢を見せないと徳川に従っている国衆を繋ぎとめておけない、無傷のまま岡崎や織田領へ侵攻させるわけにはいかないといった理由があったようです。
反対に信玄は三方ヶ原に布陣することで出陣してこれば勝てるようにしていました。
そしてもし出てこなければ徳川方に戦う意思がないと喧伝することで徳川に従う国衆を切る崩すことができる状況になるため出てこないなら出てこないでそれはそれで武田の利になるという家康としてはかなり厳しい状況になっていました。

孫子兵法を重んじた信玄

信玄は、中国の古典で「武経七書」の一つである「孫子」の教えを重んじた人物です。
信玄の旗として有名な「風林火山」の旗も「孫子の旗」と言い、孫子の一節からとったものです。
今回の最後に信玄が言っていた「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」という言葉も孫子のものです。
「勝つ人はまず勝てる状況になってから戦おうとするけど負ける人は戦いになってから勝とうとする。」という意味です。
孫子の中では同じようなことが何度も言われており「善く戦う者は、先ず勝ち易きに勝つものなり」という言葉もあります。
意味としては「優れた人は勝ちやすい相手に勝つものである」となります。
これは必ずしもその相手が弱いからというわけではなく勝ちやすい状況に持っていって戦うという意味合いがあります。
信玄も、事前に入念に準備を整えて勝てる展開にした状態で戦うということ旨としていました。

次週へ

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流水

来週は三方ヶ原の戦いの第二話目!
タイトルに「真」がついているだけにどのように描かれるか楽しみですね♪

それではまた来週!
いじょ~流水でした!

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この記事を書いた人

歴史好き/読書好きな一般サラリーマン
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